子の甘えるを受容することの難しさ
こどものbeingを育む。認める。
そんなことを思うと、こどもの甘えをとことん受容したほうが
いいなと思うと思います。
半面、これは甘えを受容することなのか?
子のコップを満たすことなのか?
いやいや、わがままを助長させることにならないか?
こんな考えを繰り返すことって少なからず皆さんあると思います。
この切り分けって、正直とても難しいとは思うのですが、
1つ私が思うのは
【ダメなものはダメ】というのはとても大事であるということです。
ダメなものをダメと言えない背景には、おそらく
ダメということで、その子を否定してしまうのではないかという
気持ちがあるからではないでしょうか。
ダメなものに関してNOを出すことは、
beingを否定することでも、認めない事でもありません。
コップを空にすることでもない。
NOはあくまでNOなだけです。
《ダメということで、その子を否定してしまう》
その気持ちをまずは捨てましょう。
NOはあくまでNOなだけ
ダメなものはダメ
例えば、
シートベルトやヘルメットを付けないなど、命の安全が危ぶまれることや
こどもの刹那の感情に赴くままに要求することを聞くことなど。
特に、結果子どもの命に関わることはしっかりNOを言わなければいけません。
《ダメということで、その子を否定してしまう》
その気持ちをまずは捨て、改めて子どもの甘えを受容することの本質を考えてみましょう。