苦い経験は人生の宝
嫌な経験はしない方がいい。
私はいつだってこんな変なことしかない。
なんであの人は幸せそうなのに。
子どもにはこういう経験はさせたくない。
こう思ったことありませんか?
むしろ、思ったことない
なんて人なんかいないのではないかと思います。
でもね、私はコレネガティブなことではないと思います。
それも個性學の個性とトキを知るとしっくりくると思います。
トキというと、人生楽ありゃ苦もあるさということで、
波があるってことだと思うと思います。
今日は運がいい、今月はちょっと怪しい、今年はまあまあでしょう。
みたいな。
これはまさに占いですが、個性學のトキはまたちょっと違う。
個性にとってはトキはなくてはならないタイミングのようなものです。
何になくてはならないか
それはまさに《人としての成長》です。
そして、その成長は調子がいい時にこそ波がやってくると思っている方も
たくさんいらっしゃるのではないかと思うのですが、
成長の時こそ、痛みが伴います。
いわゆる成長痛のようなもの。
身体もそうですが、精神的にもやはり同じこと。
そして、その時に自分の持つ個性をどう生かすか、
トキを乗り越えながら、その個性の良さを引き出していくか。
それが個性學の本来の活用法だと私は思っています。
どの個性がどういう特徴で、こうしたらいいとかは
実際は水面の楽しさなのです。
個性學の深みは、もっと深海にあるんですよね。
分類された特徴に合わせて生きいくってのは実は本質が違う気がして、
私は個性を磨いていくためにという捉え方の方がしっくり来ています。
だから、修羅場とかつらい経験って、ある意味人生の宝だと思います。
汚点とか黒歴史とか思ったら、その人の成長には、それまでのことに成り下がる。
その経験をどう生かしていくか。
その活かし方の種類に、個性が関係していく。
個性にも長所を短所があり、短所を見極め、長所を使って動いていく。
《人として成長するために》
でも、そこには個性學というツール以外にも大事な大事なものがあって、
それが《決断》と《覚悟》
これは人生の中で最も私が重要視しているもの。
人生とは《決断》と《覚悟》の積み上げにしか過ぎないと思うほど。
でも、《決断》と《覚悟》ってそうそう簡単にできることじゃないのです。
そのタイミングと方法がある。
そのタイミングと方法が、
個性學で言う、トキと個性になるんですわ。
私は昨年成長期の焦燥というトキを過ごしました。
まさに人として成長する1つのタイミングを迎え、
内面配慮、外面自然という個性をもってして、真摯に焦燥を味わいました。
ただ苦労しただけと言えばそうだけどw
苦労って買えないし、苦労に飛び込めない。
やっぱりそういうタイミングを与えられることに感謝。
個性學、深くないですか♡
占いと思って、避けるのはもったいないですよ。
本当の個性學、私から学びませんか?